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2026年3月30日

置いていかれた者たちへの眼差し——わたしたちが光の速さで進めないなら

同じ宇宙にいるのに、届かない。そういう孤独がある。距離の問題ではなく、速度の問題でもなく、ただ何かがすれ違ってしまって、もう追いつけない。キム・チョヨプ(金草葉)のデビュー短篇集『わたしたちが光の速さで進めないなら』は、その種の孤独を7篇かけてゆっくりと照らし出す。

表題作の主人公は、廃止が決まった宇宙ステーションにひとり残る老女アンナだ。夫と子を先に惑星スレンフォニアへ送り出し、自分も後を追うつもりだった。しかしそのルートは政治的な事情で閉ざされ、彼女だけが取り残された。廃棄処理業者がやってきても、アンナはステーションを離れようとしない。彼女が待っているのは、もう来ない船だ。それでも待つ。その理由が最後に明かされるとき、読んでいる側の何かが揺れる[1]。

「館内紛失」は本短篇集の中でも特に評価の高い一篇で、第2回韓国科学文学賞の大賞受賞作だ[2]。記憶を保管・貸出しする図書館が登場する近未来が舞台で、初産を前にした娘ジミンが、疎遠のまま亡くなった母の記憶を借りようとする。記憶を「体験」することで親に近づけるのかという問いが、SFのガジェットを通じて迫ってくる。疎遠だった理由、言えなかった言葉、間に合わなかった和解——それらすべてを抱えたまま、娘は母の記憶の中を歩く。

「スペクトラム」は40年前のワープ事故で宇宙に迷い込んだ祖母が、異星の生命体と過ごした日々を語る話だ。言葉が通じない相手との交流が、色彩と絵というメディアを通じてゆっくりと育まれていく描写が美しい。テッド・チャンの「物語のあなた」と響き合う、ファーストコンタクトSFの変奏として読める。

7篇に共通しているのは、「置いていかれた者」への眼差しだ。社会のメインストリームから外れた者、時間の流れに乗り遅れた者、誰かに先に行かれてしまった者。著者はそういう人々を哀れみで描かない。代わりに、彼らが最終的に振り上げる「拳」を丁寧に見届ける[1]。その拳は声高ではない。それでも確かに、何かに向かって伸びている。

キム・チョヨプは浦項工科大学で化学を学び、生化学の修士号を取得した理系の作家だ[2]。その背景が、本書の科学的な設定の説得力に直結している。脳科学、遺伝工学、宇宙航行技術——どれも荒唐無稽には感じられず、地続きの未来として読める。技術の精度と叙情の温度が同居しているのが、この作家の最大の強みだと思う。

ブログにはすでに長篇『地球の果ての温室で』の書評がある。本書はそちらの「前」にあたる作品で、デビュー作ならではの直接的な熱量がある。どちらから読んでも補い合えるが、本書の7篇のうちいくつかに「温室で」のテーマとの連続性を感じる篇があって、合わせて読むとキム・チョヨプという作家の輪郭がよりくっきりしてくる。

光の速さで進めないなら、それでも歩き続ける。本書を読むとそう思える。置いていかれた者たちの物語が、不思議と背中を押してくれるのはそのためだ。


参考文献

[1] 梅田蔦屋書店コンシェルジュ河出. “【第1回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ/早川書房”. 蔦屋通信. https://store.tsite.jp/umeda/blog/shop/18303-1223540122.html, (2026-03-30).

[2] 楽天ブックス. “わたしたちが光の速さで進めないなら”. 楽天ブックス. https://books.rakuten.co.jp/rb/16490971/, (2026-03-30).