RevBooks

2026年3月12日

【読書ログ】無限病院【この宇宙は、病んでいるのかもしれない】

病院の待合室で、いつまで経っても名前を呼ばれない経験をしたことがある人は少なくないと思う。韓松の『無限病院』は、その感覚を出発点として、どこまでも深く、どこまでも奇妙な場所へと読者を引き込んでいく。

主人公の楊偉(ヤン・ウェイ)は、ごく平凡なビジネスマンだ。出張先のC市のホテルでミネラルウォーターを飲んだところ腹痛で倒れ、ホテルの従業員に連れられて巨大な病院に担ぎ込まれる。そこには膨大な数の患者が詰めかけており、検査の順番はなかなか回ってこない。楊偉はひたすら待ち、ようやく呼ばれたと思えば次の窓口に回され、また待つ。ところが不思議なことに、いくら検査を受けても治療には辿り着かない。出口を探せば病院に入ろうとする人の波に阻まれ、外に出ることすらできない。

物語の骨格だけ取り出すとカフカ的な不条理劇そのものだ。しかしこの小説が単なるカフカの変奏にならないのは、舞台の設定が持つ規模のためだ。時代は近未来、《医療の時代》と呼ばれる時代設定で、ソニー、グーグル、マイクロソフトといった企業はすべて病院か医療センターを開設しており、あらゆる技術リソースが医療と生命操作へと向けられている。健康でない個人の存在は許されず、生と死の定義そのものが問い直されている社会だ。楊偉が閉じ込められた病院は、その社会の縮図でもある。

中国SF四天王のひとりとして知られる韓松は、劉慈欣から「自分が二次元なら韓松は三次元の頂点だ」と評されている。読んでみるとその言葉の意味が少しわかる気がする。医療というテーマから始まった物語は、遺伝子改変へ、家族や国家の変容へ、そして仏教や悟りの概念へとアクロバティックに接続されていく。着地点が見えないまま展開が加速していく感覚は、『三体』のような整然とした宇宙論的SFとはまるで異質だ。著者自身が「長篇は高熱を出したときに見る夢のようなもの」と語っているが、読んでいると確かにそういう感触がある。悪夢に似た熱っぽさがあって、振り落とされそうになりながらも読むのをやめられない。

伊藤計劃の『ハーモニー』を思い浮かべる場面もあった。病気になることが許されず、健康であり続けることを強制される社会という設定は重なる部分がある。だが韓松はその問いをさらに深くえぐる。健康とは何か、病気とは何か、生命とは何かを問い直していくうちに、「この宇宙そのものが病んでいるのではないか」という問いにまで辿り着く。スケールのぶっ飛び方が、気持ちいいくらい容赦ない。

本作は〈医院〉三部作の第一部で、物語はまだ大きく動き始めたところで終わる。風呂敷がきれいに畳まれる爽快感を求めて読むと面食らうかもしれない。そういう意味で万人向けとは言いにくい。ただ、「わかりにくさ」の手触りが読書体験として面白い、という感覚がある人には、これ以上ない素材だと思う。解釈の余地を大量に残したまま幕を閉じる小説の方が、読み終えた後もしばらく頭に居座ることがある。本作はまさにそういう一冊だった。

中国SFといえば劉慈欣、という文脈で語られることが多い。だが韓松という別の極があることを知ると、中国SFの地形が少し立体的に見えてくる。この二人が同じ時代に同じ国に存在していたという事実が、すでに少し信じがたいくらい豊かだと思う。