「本当に辛い時は、逃げていいのよ」…「卑怯でも、無責任でもない。本当はみんな、そうして生きてきたの」
なんてあたたかい言葉なんでしょうか。
胸の奥にじーんと響く、家族愛に満ちた言葉。
そこに彩られた連綿と続く歴史群は、姿形を変えつつも変わらないものがあることを雄弁に物語っていました。
身の丈話を添えて——
私は、問題から逃げることが苦手です。もっというと、Noというのが苦手です。
小さい頃から相手の顔色を伺い、相手の調子と自分の調子のバランスを取る生き方をしていたので、「嫌だ」と答えた時の、相手の瞳の奥に映る侮蔑の眼差しというか、ちょっとした拒絶の仕草を汲み取ってしまうと、どうしても断りづらくなってしまうのです。小学校の頃はそんな生活をし続けた所為で、毎日トイレに駆け込んでは嘔吐。もちろん、その原因が幼心ではわかるはずもなく、かといって、病院に行っても原因がわからないと言われ、悶々とした日々を過ごしていました。
年を重ねるにつれて言葉の貯蓄が増え、そういった訳のわからない現象は言語化することで矮小化できることを後天的に身につけましたが、だからといって、Noと即決できるような人間になれるようなものでもなく、周りでそんな人たちを眺めるたびに、くやしい、と、鋭い眼差しを向け、いっそのこと獰悪な人物として吹っ切れてしまおうかしらと思い悩むこと多々。実際、理性的な部分が強く、そんなことはできませんでしたが。
もっと早くこの本と出会えていれば、そんなことで思い悩むことがなく、物事を斜に構えないでありのまま見通すことができていたのかなと思うと、ちょっぴり悲しくなったりします。