本書『猫のゆりかご』は現代アメリカ文学を代表する一人である著者カート・ヴォネガット・ジュニアの代表作にして、世界を氷河へと導く力を持つ「アイス・ナイン」を巡る物語である。宗教、寓話、科学に翻弄される現実、ストーリーテリングとしての短いエピソードの集積など、ヴォネガットの作品の魅力が本書にはぎゅっと凝縮されている。
メタ的な要素が豊富でありながらも非常に読みやすく、終末へと至る過程を追体験していくことで人類の歴史を見つめ直すことができる作品に仕上がっている。
簡単なあらすじ
この物語は、主人公ジョーナ*1の未完のままに終わった本である『世界が終末をむかえた日』を、主人公視点で紐といていくことになる。もともとそれは、日本の広島に原子爆弾が投下された日にアメリカの重要人物たちがどんなことをしていたのかを記録するはずの本であった。しかし、主人公がボコノン教と邂逅することで一変する。
その本は、キリスト教の色彩を帯びる前提になるはずだったが、ボコノン教の教義である——嘘こそ幸福へと至る道——へとシフトする。嘘の上にも有益な宗教を築ける。このことがわからない人間には、この本はわからない。わからなければ、それでよい。と言い切ってしまうほどには、主人公がボコノン教に染まってしまうのである。無宗教である主人公がボコノン教にハマった理由ってのが、惚れた女の気を引こうとするためっていうのが、なんというか、ど低俗な男の内面をシニカルに描き出しているのよね。ただ、それを卑下するわけではなく、生に対してなんの感情のないやつよりはマシに描かれてはいる。
そんでもっていっちゃん皮肉なのが、そんな冷たい石のような存在の代表格である人物——真実にしか興味が沸かない原子爆弾開発者=「アイス・ナイン」開発者のせいで、世界が終末を迎えるきっかけをつかむことになってしまうということだろう。
新しい知識は、地上でもっとも高価な日用品だよ。関わり知る真実が増えるほど、われわれは豊かになる
P. 62
ボコノン教はすなわち、上記の真実を追い求めることを是とする科学技術への最大のアンチテーゼ。現代でいうところの、AI開発への危険性を提唱する側に通ずるだろう。ヴォネガットらしく、技術的なアプローチよりかは人間的な内面を掘り下げていくのはあっぱれっていう印象。「アイス・ナイン」によってもたらされたディストピア世界は、人類を存続させる意義の本質をくっきり浮かび上がらせる。
かなり視覚的な作品で短い章立てで区切っていくスタイル。繰り返しボコノン教の教義について語りながらも、冗長さを感じない。その手法や演出の仕方は素晴らしい。
*1) 旧約聖書ではヨナ。ヨナとクジラがベース。