読書とは、その質を高めるという前提条件において、自分の読み方が本当に正しいかどうか反応の返ってこない教師なし学習が求められます。ゆえに、読み方一つとっても、乱読か、はたまた精読か、ジャンルでも、教養書か、それとも小説か、によって、玉石混交とした読書法が存在することは想像に難くないでしょう。
では、このような状況下において、本を読み進めるために本当に有用な技術はないのでしょうか?
その問いに、本書は具体的な読書法を提示することで答えていく一冊となっております。
本書目次
第1部 読書の意味(読書技術と積極性;読書のレベル ほか)
第2部 分析読書(本を分類する;本を透視する ほか)
第3部 文学の読みかた(小説、戯曲、詩の読みかた)
第4部 読書の最終目標(シントピカル読書;読書と精神の成長)
本書では、読書本来の意味に迫るにあたり、読書の仕方を:初級読書、点検読書、分析読書、シントピカル読書の4つのレベルに分けて講じています。
本書に書かれている4つの姿勢を駆使して読書し、木を見て森を見るだけでなく、森を見て木を見ることの相互作用を理解したとき、真の意味で読書が行われるのでしょう。
所感
個人的には、
小説、戯曲、詩の読みかた
という節が非常に勉強になりました。
というのも、今まで、私は小説を読むことも、教養書を読むように何らかの命題を見出そうと務めていたのですが、その行為はそもそも間違いであって、真実を検証するというよりは美に対するYes/Noを判断する、いわば、行間を読む技術が必要で、著者の表現する物語の中に自分の精神を同一させなければならないということに気付かされたからです。 加えて、この自己同一性を成り立たせるためには創造力を働かせる必要があり、ある種の芸術的作品に触れる様に接しなければならないということ、さらには、芸術の作品自体に意味はなく、そこに何らかの行動が想起されるのであれば、それは作品自体に論述が含まれていて作品の美とは無関係のところに関心が向いているということであるということがはっきりと述べられており、
『今までなんて愚かな読み方をしていたのだろう......』
と、思わずにはいられませんでした。
読書の奥深さを切に感じ取れた一冊です。