本書こそ、今最も読むべき一冊です。
これが半世紀以上も前に書かれていたことに驚きを隠せません。
本書『2001年宇宙の旅』の原題は"2001: a space Odyssey"、直訳すれば、「2001年: 宇宙叙事詩」となります。そう。本書は、単に「地」を離れる「旅」というニュアンスの枠組みを超えた、壮大な「人類譚」なのです。
精神 in 科学技術
神との対話、これが本作のメインテーマです。
とりわけ、実際に言葉を交わしたりする類の行為とは違って、関係性を築くためのコミュニケーションの意味合いに重みづけがなされています。具体的には、本作は神と対話するにあたって進化上優れている立場にのみ「謁見」が許され、それを通じて高次の次元へと成長することを約束されたストーリー展開となっているのです。
これは、冒頭の「モノリス」に見初められたヒトザルの成長や、人工知能V.S.人類との血生臭い戦いの先から見ることができます。
これらの闘争を通して垣間見えるのは、進化の過程における精神の在り方であって、とりわけ科学技術の進化にフォーカスを当てると、
人間は機械による変化を環境の中に取り入れ、みずからをそれに適応させてきたが、その変化が進歩を意味するか破滅を意味するかは、人間の道徳的態度に、環境をともなう改善が見られるかどうかにかかっているのである。
——『人間の運命』ルコント・デュ・ヌイ
のように、科学技術の発展に伴う精神性を今一度再確認する必要があるのではと考えずにはいられません。
名作が名作たる由縁
本著が発表された年は、今から半世紀も前の1951年です。
当時の日本文学作家といえば、安部公房や三島由紀夫といった戦後文学や、安岡章太郎や吉行淳之介の第三の新人が登場する重要な年代であり、まさに、「生」と「文」が渾然一体となった作品群が多かったのです。
これらの作品を俯瞰して眺めるに、いやはや、名作と呼ばれる作品は、何年、何十年と語り継がれるのに耐えられる強度を誇っているのだなぁとため息を漏らさずにはいられません。
このようないつの時代でも使える共通理念を、ジャンルごとに特徴量解析して客観的なデータとして把握できるようになったら面白そうですね。
読むときに意識するべきポイント(翻訳はむつかしい)
本を読むならまず原典から、このことを念入りに思い知らされること請け負いなのです。
というのも、本書の原題"2001: a space Odyssey"が、『2001年宇宙の旅』という邦題へと変換されていることが、ひじょーーーーに厄介な部分で、この邦題のニュアンスから仄かに感じ取れるtravel的なものを希釈して、叙事詩的なアプローチから読み進めていかないと、原題のOdysseyに組み込まれたコンテキストを理解するのが難しいつくりになっているからです。
さもないと、序盤に描写されるヒトザル成長録でギブアップしてしまうかもしれません。
狙った効果を発揮させる翻訳のむつかしさを知れました。