目を背けたくなるほどの徹底的な女性険悪描写の数々。それは、男女共同参画が各国で謳われる現代でもなお、女性として生まれたことに対する『原罪』として、人々の心理に深々と根付いているものを浮き彫りにしていく。とりわけ、本書において女性に求められるのは男性の『ペット』としての機能であり、そこに自由は許されていない。女性たちは感情を抑え込み、プライドを捨てることを余儀なくされる。ゆえに、そういった自由意志を持ったあかつきには役立たずのレッテルを貼られ、社会から除外されていく。いわば、市民権が剥奪されるのである。
女性の市民権が組織的に否定され制限されることは、世界中で依然として存在している[参考]。それは人権擁護運動の中心的な課題の一つとなっている。本来、人間は性別にかかわらずその基本的人権を行使する資格があるが、現実には、女性は至る所で差別に直面している。離婚と財産に関する権利、正装の強制、自由に移動する権利の制限など枚挙にいとまがない。それは、因襲的な女性の美のイメージに近づこうとする努力によって、健康と福祉に悪影響を及ぼすことすらある。それらはまるで、イヴが知恵の実をアダムに分け与えて堕落させたように、女性に備わっている魔力的な何かが社会システムを崩壊に導くというのを極端に恐れている具合だ。
本書は、グレイス・イヤーという魔力消費期間を介して、いわんや、命すら落としうるディストピア物語を通して、いま一度、女性のありかたを問い直した一冊である。
以下、Amazon商品説明
「だれもグレイス・イヤーの話はしない。禁じられているからだ」 ガーナー郡では、少女たちに“魔力”があると信じられている。 男性を誘惑したり、妻たちを嫉妬に狂わせたりできるのだと。 その“魔力”が開花する16歳を迎えた少女たちは、 ガーナーの外に広がる森の奥のキャンプに一年間追放される。 “魔力”を解き放ち、清らかな女性、そして妻となるために。 この風習について語ることは禁じられていて、 全員が無事に帰ってくる保障もない。 16歳を迎えるティアニーは、 妻としてではなく、自分の人生を生きることを望みながら、 〈グレイス・イヤー〉に立ち向かう。 キャンプではいったい何が? そして、魔力とは? 生死をかけた通過儀礼が、始まる──。
16歳を迎えた少女たちが森の奥深くの閉鎖空間で共同生活を送る様子は、『蝿の王』のような陰鬱な色味を強く出し、男性絶対優位の描写は『侍女の物語』のような世界をありありと描き出している。全体を通してダークな雰囲気をまといながらも、するすると読み進めることができる。というのも、小難しい描写がなく平易な表現に終始しているためだ。
最初から最後までページを繰る手が止められないほどにハマれる一冊。