1杯のココアで、世界がじんわりと変わる。いや、ココアという描写だからこそ、変えられる。
読了中に漂うココアの芳しい香りと、口に広がる甘美な風味、そして極め付けは、胸の奥に広がるじんわりとした暖かさ。これが他の飲み物であったら、物語全体の小さなつながりが調和していなかったと言えるほどの、絶妙な選択。
飲み物ひとつとっても、何かの目的や、物語を持っているんだと思うと、ありふれた日常の中にもまだまだ気づけていない魅力があると知れる一冊です。
読了後には、ただ一直線に進み続けるのではなく、一度立ち止まって周りを見ながらゆっくりと歩くことの大切さを感じることができます。
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私たちは、原因に縛られることが多々あります。病気をひいたときや、子供が学校に行かなくなったときなど、発生した要素がネガティブな意味を含有すればするほど、その理由を知りたくなるのが常でしょう。
なぜならば、原因からアプローチすることで、手っ取り早く問題を解決することができるからです。それはまるで虫歯にならないために歯磨きをするように、嫌なものを避けるためには蠱惑的な要素なのです。
しかしながら、現実に蔓延る問題は歯磨き感覚で解決することは困難です。歯磨き⇄虫歯といったような具合で1対1の「関係を認識」できるならまだしも、1対多、多対多といった問題に出くわした際にはむしろ、1対1で培ってきた即席の「解決方法」は、毒にもなり得ます。つまりは、長持ちして応用の効く学びのためには、速くて簡単なやり方は、明らかに問題となるのです。
それを解決するためには、兎にも角にも、「望ましい困難」[1]に身をやつす必要があります。
そこで大事となってくるのが、短絡的に原因にアプローチしない、頭を使った長寿命の解決策となるのです。
アルフレッド・アドラーはかつて、人間の行動には全て目的がある、という旨の議論を展開しました。それは原因に依存せずに問題を解決する手法として「目的」を主に考えるものですが、「原因」処理と比較すると並大抵の作業ではありません。その対象は、何気なく、とりとめもなく忙殺される日々を過ごすたびに希釈されたり、意図して隠される場合があるからです。その結果として、人生の意義を見失うことがあるでしょう。
ただ、
「人生と同じで、学びの道のりとは(失ったものや失敗を)挽回しようとすることだ」[2]
と、コーネルらが述べたように、本書の至る所で散りばめられた物語を通して、時間をかけて頭を悩ますことこそ優れた人生戦略であることを見つけ出して欲しいと思えた、そんな一冊です。
参考文献
[1]R. A. Bjork, "Institutional Impediments to Effective Training," in Learning, Remembering, Believing: Enhancing Human Performance, ed. D. Druckman and R. A. Bjork ( Washington, DC: National Academies Press, 1994 ), pp. 295-306.
[2]N. Kornell et al., "Retrieval Attempts Enhance Learning, but Retrieval Success ( Versus Failure ) Does Not Matter," Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition 41, no. 1 ( 2015 ): pp. 283-94.