女のいない男たち

標題である『女のいない男たち』は、同作を含む6遍からなる短編小説集だ。2014年に文藝春秋より単行本として刊行され、16年に文庫化された。所収されている作品は、文字通り『女のいない「男」たち』にフォーカスを当てており、なんらかの事情で女が離れた、また離れられようとしている男たちが主役となる。村上春樹自身は、このような男たちに創作意欲を高められる理由について不明瞭ながらも、

「ただそういう男たちの姿や心情を、どうしてもいくつかの異なった物語のかたちにパラフレーズし、敷衍してみたかったのだ。

と、「まえがき」に記している。そう、本作で「長編小説にせよ短編小説集にせよ、自分の小説にまえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではなく(偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が大きい)」と書いているにも関わらず、あえてそのようなリスクを冒してまで残している村上春樹の「まえがき」でである。ゆえに、本作で特筆すべきは、村上春樹が「まえがき」で残したものであろう。これを意図的に書いたからには、何かしらの力点が置かれているはずだからだ。

「まえがき」に書かれているのは、とりわけ村上春樹自身の短編小説に対するステートである。自らを長編作家であると名乗っている村上春樹が、短編小説を書くにあたってのスタンスや実務などを極めて簡素な状態で押さえている。それはまるで、「まえがき」としての機能を使って、作品全体に散りばめられた「実のある何か」を一連の流れとして、まるで経口補水液のように吸収、そして昇華させようとする状態なのだろう。

かつて、村上春樹のインタビュー集で、

短編小説というのは「うまくて当たり前」の世界です。それが前提です。その上で何を提供できるか、ということが主題になります。「はい、よく書けました」だけではどこにもいかない。うまくは書けてるけど、どっかで前に読んだことのあるような話だよな、みたいなものでは、書く方には意味があるかもしれないけど、読む方にとってはほとんど意味はない。他の人には書けない、その人でなくては書けない「実のある何か」がそこにくっきりと浮かび上がってきて、今まで見たことのないような情景がそこに見えて、不思議な声が聞こえて、懐かしい匂いがして、はっとする手触りがあって、そこで初めて「うん、こいつは素晴らしい短編小説だ」ということになります。 ──『短編小説はどんな風に書けばいいのか』(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2009』)

と残した言葉のように、「素晴らしい短編小説」を作るためには、「まえがき」を書くことが避けて通れなかったのかもしれない。ある種、絵巻物としての機能を果たしているとも言える。そこには色鮮やかな景色と、本編では感じることのできない物語の深みが配置されているのだ。

『女のいない男たち』は実に機知に富んだ小説で、読者の心を掴んで離さない。各所に散らばっているメロディ、そしてそれらのニュアンスが大いに感情表現のバックボーンを支えている。それはまるで、本短編集が『コンセプト・アルバム』としての機能を努めたいような、そういう意気込みに満ちているようだ。

作者: 村上 春樹
文藝春秋

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