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2026年3月19日

【読書ログ】ハイブリッド・ヒューマンたち【身体は、どこまで自分のものか】

サイボーグという言葉には、どこかSFの匂いがある。機械と融合した人間、強化された身体、遠い未来の話——そういうイメージを持っていた。ところがハリー・パーカーの『ハイブリッド・ヒューマンたち』を読み進めると、そのイメージがゆっくりと崩れていく。サイボーグはもう、ここにいる。

著者のパーカーは1983年生まれのイギリス人作家で、23歳で英国陸軍に入隊しイラクとアフガニスタンに従軍した。2009年、アフガニスタンでIED(路肩に仕掛けられた即席爆発装置)を踏み、両脚の大部分を失った。退役後は絵画と小説の道に進み、本書が第二著となる。

本書はパーカー自身の経験を軸に、義肢開発者、BCI(ブレイン・コンピューター・インターフェース)研究者、チタンと骨を直接結合するオッセオインテグレーションの先駆者たち、義肢をアートとして捉えるプロジェクトの参加者など、支援テクノロジーの最前線を歩く人々の話を集めたエッセイだ。ただし「集めた」という言葉は少し正確ではない。パーカー自身がその世界の住人として書いているので、ルポルタージュというより当事者の証言に近い。

この本の文体がいい。乾いていて、感傷を排して、それでいてどこかで読む者の胸を押してくる。身体の痛みも、義足の摩擦も、日常に突然差し込んでくる屈辱感も、パーカーは過剰に語らない。ある読者が「語りは鉄筋なみにクール&ドライ、なのに紛れもなくヒューマン」と評していたが、そのとおりだと思った。湿らせないことが、かえって深く刺さる。

本書の中でとりわけ印象に残るのは、パーカーが自分の呼称をめぐって格闘する場面だ。「障害者(disabled)」という言葉は腑に落ちない。「サイボーグ」は自分より強化された何かのイメージがあって違う。「ハイブリッド・ヒューマン」——人間と機械の混成体——という言葉に自分を見出したとき、それはアイデンティティの問題であると同時に、「人間とは何か」という問いの更新でもある。かつて兵士として強さを絶対視していた著者が、弱さや依存を身体で学び直していく過程が、本書全体に滲んでいる。

オッセオインテグレーションの章が特に圧倒的だった。チタンの棒が骨に直接埋め込まれ、皮膚を突き破って義足と接続される。その接合部分の描写は生々しく、「ハイブリッド・ヒューマン」という言葉の持つスマートさやオシャレさを一気に剥ぎ取る。どこまでテクノロジーが進んでも、その接合点には肉と骨と血がある。その事実が、この問題の本質を鮮明にする。

本書はノンフィクションだが、読後感がSFと重なる。身体と機械の境界はどこか。自己のアイデンティティはどこに宿るのか。テクノロジーが人間の定義を変えていくとき、何が失われて何が得られるのか。これはまさに、多くのSFが問い続けてきた主題と同じだ。フィクションからフィクションを取り除いたら、問いはもっと鋭くなった——そういう読書体験だった。

身体は、どこまで自分のものか。その問いを、今この時代に、これほど誠実な言葉で問い直している本はそう多くない。