ピピピ、ピピピ、ピピピ。
僕は布団の中で背伸びをすると、甲高いアラームを六畳一間の一室に響き渡らせる音の主を引っ叩き、息の根を止めた。
ぼんやりとしている視界の先に映る時刻は午前6時。講義に出るための準備を整えながら身支度を整えていく。
いつものように薫がアパートのチャイムを連打して迎えにくるのを待っていたが、待てど暮せどやってこない。痺れを切らした僕はスマホでメッセージを送ろうとして、そのディスプレイに映っていた日付を見、次いで、きょうが休校日だったことを思い出した。
手持ち無沙汰になった僕は特に目的もなくテレビを付ける。
するとそこには女児向けアニメが放映されていた。
今までしっかりと見たことがなかったが、これが意外や面白い。しかし、この面白さの裏にどうも気になることがある。
どうせきょう一日暇になったんだから、竹内陸こと、オタクに分類される友人に連絡して、遊ぶことにした。
——————
「おう、わりーな」
爽やかな声、スラリと伸びた手足、艷やかな金色の髪の毛をかき分けながら、竹内陸が悪気もなくやってきた。白い半袖Tシャツの全面に、先程まで見ていたアニメのヒロインの顔がでかでかとプリントされている。黙っていれば女性が寄ってきそうな整った容姿はしているが、いかんせん、その近寄りがたい装束のおかげでことなきを得ていた。
「流石に1時間も待つとはな」
「いやな、きょう朝やってたアニメのブログを書いてたら、思いの外筆が進んじまって」
「ああ、今日やってたやつ? あれ結構おもしろいよな」
「見たのか?」
「ん? 見たけど?」
陸は俺にゆっくりと近づくと、「ようこそ、オタクの世界へ」と、僕の肩をポンポンと叩きながら耳元でささやいた。いい匂いがする、じゃなくて、耳元でやめろ。通りがかった女性陣が僕たちを指して浮足立ってるじゃねぇか。急いで陸を引っぺがし、目的も無く歩みを進ませる。
「別に、オタクっていうほどしっかり見ていたわけでもねーよ」
「あんだけ興味なさそうにしていたお前が見てくれたのて嬉しいよ」
はっきりと感謝を述べられたせいか、妙に照れくさくなる。僕に男色の気は無いはずは、たぶん……。
「そうそう、あのアニメ見てて幾つか気になったことがあったんだが、質問してもいいか?」
「答えられる範囲ならな」
陸は歩を緩めた。
「何で小さい女の子が戦う必要あるんだ? 別に敵を倒すんだったら、もっとこう、あからさまに強そうなキャラでもいいじゃないか?」
「じゃあ逆に聞くけど、お前が仮に小さい女の子だとして、そんな現実を反映したアニメを見たいと思うか?」
「うーん……。アニメである必要はないな」
「だろ? 年端もイカない女の子が、こう、なんの意味もなくただ空虚な使命感で戦うさまは、ほら、性的な意味で滾ってくるだろ」
「おまえ、現実に幼女をさらったりするなよ」
「心配するな。その辺の住み分けはできてる」
陸はニカッと笑うと、白い歯をキラリと覗かせながらサムズアップ。
「でもさ、アニメってあくまで虚構の世界を描いてるものだろ? そこにお前の感じるようなセクシャリティが含まれるのってなんか違和感ないか? だって、それが意味することは『現実』なんだから、虚構と現実がごっちゃになるじゃないか」
「そもそも、虚構というのはって話になるが……仮に、アニメの女の子が活発に行動しているからって、現実の女の子全てがそれと等価ってわけじゃないだろ?」
「うん」
「だからといって、虚構それ自体にリアリティが担保されていないわけじゃない。だって、お前の考えているような虚構が虚構として定義されるなら、無味乾燥としたつまらない、いうなら、『享楽』的な側面をモチ得ない。だけど、現にお前もアニメを面白いと感じている。つまりは、虚構が現実の壁をぶち破るためにも……いや、うーん、虚構の中にリアリティを確保するためにも……」
「可愛い女の子の魅力が必要ってことか?」
「やっぱりおまえ、オタクの素質あるよ」
陸がまたしてもハグしてきそうになったので、急いで身を翻す。
そんな捨てられた子犬みたいな悲しそうな顔をするな、こっちが逆に抱きしめたくなるだろうが。
「さーて、朔のオタク生活の始まりを祝ってアニメショップ巡りしますかね」
「おい、そんなつもりは……」
さっさと一人で歩みをすすめる陸の後ろをついて行きながら、これから始まりそうな冒険の予感に胸を膨らませていたのはここだけの秘密だ。
——————
きょうの一冊 『戦闘美少女の精神分析』
斎藤環
ちくま文庫