ユービック

プラトンの「イデア論」を、超能力や冷凍保存といったSFガジェットを介して再考した一冊。とりわけ、時間退行という要素を生かすことで、形態の本質とはなんぞや? っていうのを詳細に考察している。

以下、Amazonの商品説明

一九九二年、予知能力者狩りを行なうべく月に結集したジョー・チップら反予知能力者たちが、予知能力者側のテロにあった瞬間から、時間退行がはじまった。あらゆるものが一九四〇年代へと逆もどりする時間退行。だが、奇妙な現象を矯正するものがあった――それが、ユービックだ! ディックが描く白昼夢の世界

本ページでは、物語の骨格をなす「イデア論」に対する以下のディック的表現から切り込むことで、最終的に、ユービックの恩恵について触れる。

テレビ受像機は長い道程を逆行していた。(中略)ダイアル同調式AMラジオだった。なんてこった、と彼は驚きあきれた。だが、なぜテレビ受像機が、形のない金属とガラスの塊に戻ってしまわなかったのか?

pp. 211-212

過去から連綿と続くテレビ受像機という形態のあり方は、時間経過とともにその形態を移し替えながらタマネギの皮のような多層構造をなす。退行とはまさしく、このタマネギの皮が剥かれ続ける行為である。その内に向かう形態の連続は、内なる本質に最も近接したときに止まる。しかし、退行自体は止まらないので、結果として形態それ自身がすり切れていくことになる。テレビ受像機といった「単なる機械」として形態が摩耗する分には、それほど複雑でない。ただ、こと人間の形態が摩耗する場合は話が異なる。そこには、デカルトの動物機械論でいうところの、「人間のみが言葉を話す」ことによる精神が宿っているからだ。

本書の重要な点は、肉体と霊魂の二元論として退行をとらえていることにある。肉体は滅びても、霊魂は新しい世界で生き返る。その希望的観測がなければ、本作の主人公は退行という困難——腐っていくミルク、パラパラと崩れ落ちるタバコ、ボロ切れのように燃え尽きていく仲間たち、極め付けは、半世紀以上も過去に時間を吹っ飛ばされる——を前に屈していたに違いない。

そう言い切ってしまえるほど、以下のシーンは鮮烈だ。

ウィリアム・ジェニングズ・ブライアンの雄弁をそのままに生きている世界だ。(中略)彼らにとって、おれたちはナチスよりも異質で、おそらく共産党よりも恐ろしい、職業的扇動家なのだ。

p. 240

これは主人公が1939年まで退行したときのくだりである。その時代の人たちは、まるで「洞窟の比喩」のように、自分の背後にある日や塀の存在に気づかず、陰が世界のすべてだと思い込んだまま生きている。自分だけがその時代のことを知っている世界で、他の人間はそれを知らないのである。知っていることでしか、現実を判断できない——「コペルニクス的転回」が訪れない限り永遠に。

それはまさしく、ジェフ・ワグナーが、

「ディック宇宙におけるすべての現実に共通してひとつ確かなのは、つきつめていくと現実そのものが主観的であることだ」

ジェフ・ワグナー 浅倉久志訳(1986)『悪夢としての P・K・ディック』サンリオ, p. 43

と述べたように、究極的には、現実は主観的なものであることの証左である。ただ、これが個人の経験として完結していれば問題なかったのだが、不幸なことに、主要キャラたちが敵の策略によって半生状態に陥り、なおかつ近くに体を置かれたことによって互いの霊魂がリンクしてしまった。それはつまり、各人の現実が、共時性、同調現象といった集合的無意識の影響を色濃く受けることを意味する。それだけにとどまらず、リンクされた霊魂の中に生命力を喰らうとんでもない化け物が潜んでいたせいで退行現象が引き起こされ、生体上でも衰退の速度は速まり続けてしまうのだ。

ユービックがもたらした恩恵——集合的無意識からの離脱、および衰退への抵抗——は計り知れないが、完全に衰退との関係を断ち切れないというのは悲しくもあり、そこに込められた求心力に対する熱量を思うと美しくもある。

作者: フィリップ・キンドレッド・ディック/浅倉久志
早川書房

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