マザーコード

めちゃくちゃ濃いわ、この小説。とりわけ前半部分のバイオ技術に関する情報粒度がすこぶる高い。著者が生化学の博士号を取得していることもあるだろうけど、それだけにとどまらず、専門外のロボット、AIに関する調査量もエグい。なので、ジャーナル論文みたいなわりと格式ばったスタイルを好む人にフィットする印象。僕自身、そういうハードタイプの読み物を好むたちなので、終始惹きつけられた。

この物語は二つの視点から構成される。一つは、バイオ兵器の暴走によって人類滅亡が迫った世界を描いた過去編、そして、もう一つは、遺伝子改変によって抗体を獲得した子供たちとその育てのロボット<マザー>が荒廃した世界でサヴァイヴする未来編。過去と未来が相互作用しながら物語は進行し、最終的に合流することで、『マザーコード』に込められた意味を発見していく流れ。

前者は、アフガニスタン南部の僻地で使用された生物兵器の暴走から端を発する。この生物兵器の正体は、誘導型カスパーゼ特異的NAN、略称IC=NANと呼ばれる核酸ナノ構造体だ。犠牲者がこの配列のナノ粒子DNAを吸い込むと、感染した組織が生存期限を過ぎても死ななくなる。本来であれば、死滅することで形態形成が時空間的にコントロールされるはずなのだけれども、古い感染細胞が自己複製して、欠陥のある細胞が増殖し続ける。それらの変異細胞が、やがて正常な組織を圧倒して肺機能を阻害する。結果的に、肺がんに似た症状を引きこすことで、回避不能の死をもたらすという代物。決まったターゲットのみ感染させ、その他の環境中では劣化して拡散されないことがウリであったはずだったが、砂漠に生息する古細菌《アーキア》によってNANが複製されてしまう現象が観測された。しかも、一部の古細菌は人間に伝達できるかたちとしてNANを複製・放出していたのだ。人類に残された猶予は約5年。刻一刻と忍び寄るエピデミックの脅威。インフルエンザに似た症状のそれは、人類を確実に駆逐していく。果たして、滅亡までに解毒剤を開発することができるのか、手に汗握る展開のオンパレード。

後者では、砂漠地帯に生まれた子供たちが、<マザー>と呼ばれるロボットの手を借りながら生存している世界が描かれる。ほかの生存者の痕跡を探しながら補給所を転々とし、ときには汚い水をすすりながらも懸命に生きていく様子が胸を打つ。また、ロボットと人間のあいだに育まれる愛のかたちは、人間同志のそれと比べてみても遜色がないほどに美しい。

いずれの領域でも、後半に進めば進むほど技術的な描写から哲学的な領域へと近接していく。科学信奉者として活躍していたものが家族の死を前にして神頼みを始めたり、伝承にまつわる事象を信じようとするのだ。避けられない絶望的な現実を前にして、人間のとりうる行動は限りなく浅ましい。だけれども、そういう人間くささが、失敗を重ねてもそれを受け入れることで無際限に成長できる能力が、人間を人間たらしめる最も重要な要素であると気づかされるのだ。

この作品を通して、絶望のなかにも希望を見出せる可能性が十分にあることを知れるだろう。

作者: キャロル・スタイヴァース/金子 浩
早川書房

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