私は、中学生のときから、あらゆる責務に追われていた。「理想的な子供」「模範的な生徒」それらの役を演じることは、私が生きるための代償であったことは十分理解しているつもりだし、それにいちいち文句を言ってはキリがないということを知ってはいたけど、私にだって、こんなストレスから逃れたくなるときもある。
大学の講義が終わると、すぐさま電車に乗り込み、都心へと向かう。心臓の鼓動が聞こえてくるくらいに静謐な空間は、わずかな時間と共に去った。
駅を出ると、私は群衆のなかに居た。そこはある一つの指向でもって歩みを共にする集団から離れた、私の理想郷。日常生活に疲れたとき、私はこの群衆の中に紛れ、ちっぽけな存在になる。そうすることで、自分自身の役割を担うための仮面を外し、素顔に戻れるからだ。
目に見えない仮面に手を掛けると、思いっきり外して地面に叩きつける。もちろん、本当に仮面があるわけじゃないからそんなことをする必要は無いけど、この動作をしないとなんとも落ち着かない。
仮面を外すと、身悶えるほどの開放感が去来した。身に付けているものを全て脱ぎ捨てたくなるくらいに。といっても、本当に脱いだら捕まっちゃうから、カーディガンのボタンを開けるだけに止めておく。
身軽になった私は、一歩、また一歩と、目的もなく歩き始めた。
歩みを重ねるたび、無色透明な景色が、一色、また一色と、グラデーション豊かな色彩を帯びる。
歩くたびに上下にふわふわと揺れるカーディガンの裾が、この光景を快く迎えてくれていた。
つかの間の一人舞踏会。私はこの時間が好きだ。そこにただ一つ存在する私は、真実を見通す目を会得したかのような錯覚すら覚える。
そうしてひとしきり『一人の時間』を堪能したあと、アパートの前に立つ。
ちょうど隣室のアパートの扉が開き、朔が姿を現した。
「おう、どっか出かけてたのか?」
「うん、ちょっとね」
意識せずとも顔の辺りに虹色の仮面がぴったりと重なる感覚が去来した。そうして再び、仮面舞踏会で踊るのだ。
——————
きょうの一冊 『3分でわかる心理学―知ってるだけでトクをする!』
渋谷昌三
大和書房