虐殺器官新版

SF小説は、一つの、文化体系テクノロジー論を構成します。過去の作品群から独自の解釈を織り混ぜ新たな価値創造を行い、読み手に未知の視座を与え、喜ばせることを是とし、それはときに、身悶えを感じさせることがあるでしょう。それすなわち、世間一般から傑作とされる作品のことですが、本作『虐殺器官』は、「ベストSF2007」国内篇第1位、「ゼロ年代SFベスト」国内篇第1位と、傑作も、傑作、大がつくほどの傑作です。

そんな本作の魅力に迫っていきます。

一人称構成による「虐殺」文法

本書は、主人公の一人称視点で描かれます。この要素は、本作を語る上で非常に重要な要素です。

一人称で書くメリット、それは、主人公の心象を読者に意識させた状態で行動原理を補完させられることです。これは、具体的なケースを挙げるとするならば、断罪されるべき罪を犯した人間であったとしても、その彼/彼女に壮絶な過去があったとすると、情状酌量の余地ありと裁量される場合です。

客観的な事象だけを判別すれば、到底ありえないことですが、一人称というロジックを介すことによって、それが可能になってしまうのです。まさしく、主人公が「僕」という、あまっちょろくて、うさんくさい人称を使っているくせに、軍人としてえげつないことをやってのける妙に、小説的なロジックの韜晦を見出すことができます。

ある種、これは読者の無意識へと志向された「虐殺」文法ともいえるでしょう。

シェパード大尉は、「世界精神型」の悪役

「世界精神型」の悪役とは、伊藤計劃:第弐位相にて書かれた、ゾディアックに記載されています。

ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。 

ゾディアック

とりわけ悪役のあり方についてとんでもなく思考を巡らしている伊藤計劃氏ですが、上記のような「世界精神型」の悪役を踏まえると、シェパード大尉:主人公は、空間に戦争を演出することのみに特化した存在であり、あくまで、本作の世界観を読み手の意識に潜在させる悪役ということでしょう。そこで注意すべきは、本作自体に、「戦争とは〇〇」、「政治とは〇〇」というマインドにコミットする意図はないということを意味します。

これも、一人称だからこそなせる技。

抽象的事実の錯誤

このワードは、本書の根幹を成すテーマの一つとして挙げられるでしょう。

簡単な例を挙げますと、

相手の飼っている犬がうるさいから発砲したところ、犬には当たらず飼い主に当たって死亡した。

実際に発生した事案と行為者の認識が異なる場合、その故意をどうやって識別することができるのでしょうか。ましてや、わたしたちの世界を守るためといったより高度な次元に立った場合はなおさらです。

本書は、そんなクソッタレな現実に投げかけたエピローグのシェパード大尉の言葉:

ここ以外の場所は静かだろうな、と思うと、すこし気持ちがやわらいだ。

この言葉は、「世界精神型」の悪役として、ある種、冷たさを感じずにはいられません。そして、最終的に「虐殺文法」を引き継いで内戦を引き起こした彼の贖罪の姿は、『はたして真実であるのか?』という疑問につながってもいるのです、ただ単に、読み手に内在する戦争の世界観を暴力的に塗り替えたかっただけかもしれないという。

なんとも読了後に悩ましくも、えもいわれぬ爽快感を得ることができました。

所感

序文から漂う異様な質感

まるでアリスのように、轍の中に広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はばっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。

いったい、ぱっくり割れた後頭部から不思議の国のアリスを連想するほどの感受性の高さに、思わずため息をもらさずにはいられません。

——そして極め付けは、

この作品は伊藤計劃氏がわずか一ヶ月弱ほどで書き上げたという部分——

ありえない……あってはならないこんな現実……これほどまでの作品が……

人間離れした偉業に、もはや、畏怖の念すら感じられるのです……

作者: 伊藤計劃
早川書房

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