クローム襲撃 (ハヤカワ文庫SF)

昨今では、大規模言語モデル(Large Language Model)無職という単語が生まれるほど、LLM関連の話題が尽きない。とりわけ、マイクロソフト、オープンAIに100億ドル投資で交渉というニュースは、2023年を迎えてテクノロジー業界に大きな衝撃を与えた。

ChatGPTやBardといった対話型AIに対して、ユーザーがプロンプトを用いて画像を生成したり、文章を自由に生成することができるようになったことは、既存のサービス生成の時間を大幅に短縮しうる未来と、人間主体の世界からの解脱を意味するようになっている。

そこから導き出されるのは計算機主体の世界である。映画『マトリックス』に見られるような電脳世界がイメージしやすいだろう。そこでの暮らしに必要なのは、J・G・バラードが不可視の文学といったような、文化を認識レベルの下でかたちづくっているもののデータ化と、計算機を適切に使うための「文学」的素養である。そういった意味で、ギブスンがピンチョンや、ウィリアム・バロウズ、ル・カレといったような独創的な主流文学のわき道を好んでいるというのは、なんという先見の明なのだろうか。

80年代のSF作家代表として、この分野における各賞をそうなめした『ニューロマンサー』は、彼の能力を比類なきまでに示すとともに、社会の内側を強烈なディテールをもって描きだした。もちろん、本作の『クローム襲撃』に収録されている、「記憶屋ジョニィ」、「クローム襲撃」といった作品の濃度も計り知れない。

徹底的なまでの現実主義。偏った技術崇拝から生み出された愚かな科学小説に対する痛烈な反論。この作業はとてつもない労力を要することは想像に難くない。終末後小説やスペースオペラの氾濫といったサブジャンルに含まれる、現実逃避というものを否定しなくてはならないからだ。ギブソンはこれを、ロボットや、宇宙船といった常套的なフォーマットからでなく、バイオテクや通信ネットから描くことで乗り越えた。それも、社会的弱者や、ジャンキー、精神障害者の暮らしを通してだ。読み手は汚らしくてセンシティブな街頭や路地の中に放り込まれる。しかもそこでは常にハイテク——誰もが手に入れることができ、個の有り様に突然変異をもたらすことができるほどの代物——が底に浸透している。

この短編には現代の窮状が明快に示されている。ギブソンの思弁に秘められた未来は、あまりにも巨大で仄暗い。ただ、まばたきをせずに目を見開いてみると、それほど悪くはないのかもしれない。

作者: ウィリアム・ギブスン (著), 浅倉 久志 (翻訳)
早川書房

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