本書は、「服を着る」ということ、その意味を、
・社会的な意義
・個性
という角度から切り込むことによって、衣服は単純に、自分の身を纏うためだけに存在しているわけではないと意識づけられる一冊となっています。
本書目次
第1部 ひとはなぜ服を着るのか(気になる身体;衣服という皮膚;“わたし”の社会的な輪郭;モード化する社会;コスメティック―変身の技法 ほか)
第2部 “衣”の現象学―服と顔と膚と(顔の渇き;もっと時間を、もっと虚構を。;見えないファッション;身体と匂いと記憶と;からだは孔が空いている ほか)
本題に入る上で、まず第一に、文庫版のあとがき(p. 296)の部分に「服を着る」ということの意味が理路整然と書かれているので、この部分を読むことをお勧めします。
加えて、本書はモードの観点から「衣服」を紐解いているため、何が本質であるかは、私たちの意識経験から見て取り、共通理解するしかない、という認識論のあり方を把握しておくと、より本書の理解が深まると思います。具体的には、フッサールの『現象学の理念』が該当します。
個人的に印象深かった描写——
マネキンという形象(p. 210)の節に書かれている、
皮肉な言い方をすると、...(中略)...おとなになるための「教育」とは、その意味でみな基本的にこの社会の成員になるための「集団洗脳」のことなのである。
という部分。
マネキンという存在から、ファッションの流行の本質へと拡張するのはすごいなという印象をうけました。
□■□■□■
本書を通して、自分なりのファッションを見つけられることを願っています。