些細な一言。何気ない一言。あたりさわりのない一言──
大人になれば気にも留めないような言葉であっても、子どもにとっては、ときに生涯を左右するほどの重みを持つことがある。
それは、子どもがまだ汚れを知らない、純粋な存在であるからだ。そして彼らは、周囲の環境に強く影響されるという繊細な性質を持っていることを、わたしたちは忘れてはならない。
思い返せば小学生のころ、父親に「おまえは本当に絵が下手くそだな」と、いわれたことがある。
悪気のない一言だったのかもしれないが、そのときのわたしは、それを「わたしの価値がない」という意味に受け取ってしまった。以降、何かに挑戦するたびにその言葉が頭をよぎり、失敗を恐れるようになった。
一方で、言葉は人を支える力にもなりうるのも事実だ。
中学時代、友人が「お前の文章かっけー」といった。たったそれだけの言葉だっが、わたしは初めて「自分にも何か意味があるのかもしれない」と思えた。
その一言がいまの自分を形作る礎になったのは間違いない。
言葉は、ときに凶器になり、人の心を深く傷つける。しかしその一方で、言葉は癒しとなり、光にもなりうる。何気なく口にする言葉が、誰かの人生の支えとなるかもしれない。だからこそ、わたしたちは日々の言葉遣いに、少しだけでも意識を向けるべきではないだろうか。
何気ない一言が誰かの未来を変えるのだとしたら、その一言は、できるだけあたたかく、やさしいものであってほしいと願う。
時事ネタオピニオン
小児心身症とは何か~不登校と身体症状 ~【見えない不調を抱える子どもたち】
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d082d9e939e6e556e6cd6b8c259e160d6edd6da
<<概要>>
朝の登校時間になると突然腹痛を訴える小学生。検査や診察では異常が見つからないのに、毎週のように頭痛で保健室に通う中学生。「怠けている」「甘えている」と周囲から誤解されながらも、本人は確実に苦痛を感じている。このような現象の背景には、従来の医学モデルでは十分に説明できない複雑なメカニズムが存在している。それは、心と身体が不可分に結びついた人間の本質的な特性であり、特に発達途上にある子どもたちにおいて顕著に現れる「心身症」という医学現象だ。
<<所感>>
中学生のころは、毎日吐き気を我慢しながら登校していた。学校生活に問題があったということではなかったのだが、いまにして思えば、「教育」という名の「社会の見えない圧力」に不満を感じていたのかもしれない。身体の成長と心の釣り合いがとれなくなったことも要因の一つであろう。こどもというのは実に、やわらかでなめらかな世界と、その敵によって構成されている。