本作は、虚勢を張ることで気高く振る舞おうとするヒロイン:アリサ・ミハイロヴナ・九条(以下、アリサと呼称)と、そんな彼女とは正反対に、無気力やれやれ系主人公:久世政近(以下、政近も呼称)の2人を中心に進行する物語です。『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョンや、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の八幡しかり、このようなやれやれ系主人公たちは、ここぞというときに遺憾無く力を発揮するものですが、本作もその例に漏れず、アリサの出くわす困難に対して最適解を繰り出します。
本作を語る上で重要なファクターは、著作名にある通りロシア語でのコミュニケーションとなります。特筆すべきは、政近はロシア語を知っているが知らないふりをする部分にあります。この設定が非常に洗練されているのです。というのも、ロシア語を理解できる人物をアリサとその肉親と設定することで、アリサ自身が「ロシア語でデレる」という行為にでた際は、表だった感情を正直に外に出せない、ある種、人に頼ることができない弱さを描写する一方で、「無意識を意識化」する意味を織り込んでいるのです。つまりは、そういう行動を通して、現実を変えようとする努力の結晶が見て取れるのです。
「私はこういう人」「世界はこういうもの」という認識は、幼少期の記憶によって形成されます。その描写は、第4話、姉妹百合、嫌いじゃないですの、過去回想にあたります。詳細は省きますが、このときの経験が元になって「他人は当てにならない」「それにもっと早く気づいていれば」という強烈な記憶が人生全体にわたって影響することになりました。そして、これらは結果として、「わたしは孤独で、助けてくれる人は誰もいない」「人に頼ることは悪いこと」という前提を創出します。この前提は潜在意識を介して現実を規定しました。つまり、「孤軍奮闘さえすれば万事解決」という現実を成立させ続けるために、「虚勢を張り、独善的な間違った努力をし続ける」という前提を維持・強化させていくことになるのです。
その悪い流れが変わるきっかけとなった文化祭での出来事は、アリサが政近に興味を持ったかなーり重要な部分なので必見です。
といった具合に、アリサに多大なる貢献を果たしている政近ですが、彼の特徴はというと、目の前の課題を明確に理解することで、リーダーシップを発揮するタイプといえます。
リーダーシップというものは、独善的なものではありません。それは責任を負う人がすべからくもつ持つべきものでもなく、チームとして人々をまとめる役割を担うことを指します。
そのためには、自身の弱さと人々がサポートを必要としていることに正直な態度で向き合う必要があります。このような誠実さは、政近のコミットに対してプラスに働きかけます。そして、目の前の課題に取り組むためのアイデアとエネルギーをグループから引き出すことができるのです。
ただ、政近も万能ではありません。中学時代の生徒会活動の経験から、何かを成し遂げるには誰かの犠牲の上に成り立つことを十二分に知っています。まるで市場原理主義のように敗者は淘汰されるのみ。そういった現実を身近に触れてきたからこそ、積極的に人に介すことがむつかしくなってしまったのです。
そんな彼も、自身の内面の弱さと共に成長を遂げようとするヒロインの姿を通じ、共に歩む覚悟を決めます。お互いがそれぞれの弱さを知りながらも進み続ける様は圧巻です。
これらを踏まえて、本作の感想をまとめると。
【アリサマジ天使】