この本はマジでやばい。いまから半世紀も前に、第三次大戦——現代社会でいうところのコロナ拡大——に端を発する人口減少、そして、閉鎖社会から誘発される内面的疎外感の世界を克明に描いている。加えて、テクノロジーと社会との関係性を浮き彫りにするSFポテンシャルが存分に発揮されており、これぞまさしくSFの良さだよなって感じが強い。
もしあなたがこのジャンルの根底にあるテーマやシンボルをわれわれが思いもよらぬ観点から扱う巨匠の作品を読みたいと思うなら、フィリップ・K・ディックの本をどれか読むことだ。いや、そんなみみっちいことをいわず、全部読んだらいい」
——ジョン・プラナー
ほんとにそう思う。いや、そうせざるを得ないといった方が、本書読了後の欲求に近い気がする。超自然的な見えざる手によって突き動かされるように、彼の作品を全て手に取ること必至。といった具合で非常に煽情的で内容豊かな本作なのだけれども、とりわけこの場では、彼の基本的な世界認識である人間とはなにかという疑問に対する解答——アンドロイドと人間との相剋によって描き出されている——に焦点を当てることにする。
というわけで、まずは本作のあらすじを述べる。
第三次大戦後の未来、放射能灰に汚染された地球で動物を所持していることは地位の象徴を意味していた。人工の電気羊を飼っていた主人公のリックは、本物の動物を手に入れるために、<火星>から逃亡してきた最新型アンドロイド8体にかけられた莫大な懸賞金を手にするべく、決死の狩りに出る。
以上が大まかなストーリーだ。特筆すべきは、フィリップ・K・ディック(以下、ディックと呼称)は、アンドロイドに対して新しい認識を与えたことにあろう。従来、アンドロイドといえば、人種的、経済的な差別に置かれた人間に対応するつくりをしていた*1。いわば、外面的な側面で記述できるものとしてアンドロイドは存在していた。しかし、ディックはそれとは正反対の視点——内面的な部分——からアンドロイドを記述した。具体的には、他者に対して感情移入ができるかどうかによってアンドロイトの性質を決定づけており、
アンドロイド = 抑うつ的、統合失調的、殻に閉じこもって人間的な関わりに接触できないもの
としてアンドロイドにある種の悪意が存在しているとした。つまりは、ほとんど人間そっくりであっても、また、相手を思いやることができない限り人間でさえも、人間社会にとっては潜在的脅威になりえなることを示したのだ。アンドロイドを殺す過程で、それをitとして認識していたはずのリックの小宇宙に、アンドロイドの生命、もっというと、he/herの側面が生じ始めていくのは、目を見張るものがある(物語終盤の「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」はかなり痺れる)。
些細なことがきっかけで人の認識は180度転換することがありえると思うと、うかうかしてられんですな。
*1)フリッツ・ラング「メトロポリス」。この作品に登場するアンドロイドのマリアは、人間の最下層の労働者を扇動する立場として描かれた。