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「ちゃん」と呼ばれたセクハラ訴訟にみる時代の変化——2025年10月24日

に公開

職場で「〇〇ちゃん」はセクハラ 元同僚に22万円支払い命令

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6556511

《概要》
職場で「〇〇ちゃん」と名前を呼ばれたのはセクハラだとして、佐川急便の営業所に勤めていた40代女性が年上の元同僚の男性に約550万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、「許容される限度を超えた違法なハラスメント」と認定し、22万円の支払いを命じた。

《所感》
一見すると「呼び方」にすぎないこの行為が、ハラスメントと判断されたことに驚く人も少なくないだろう。しかしながら、現代社会では「言葉の受け取り方」に対する意識がかつてないほど高まっており、呼称一つにも配慮が求められる時代となっている。呼ぶ側に悪意がなくとも、受け取る側が不快感を覚えれば、それがハラスメントとして問題視されることもあるのが現実だ。

個人的には、「ちゃん」や「君」といった呼称に特別な感情を抱くことはない。とはいえ、社会全体が「感じ方」を基準に評価する傾向を強めている以上、わたしたちもそれに適応せざるを得ないのだろう。いわば「そういう時代になってしまったのだから仕方ない」という感覚である。

いまの時代、電車内で女性の隣に座ることさえリスクと捉える人も少なくない。コンプライアンス意識の高まりは社会に安心感をもたらす一方で、性別を超えた自然な交流や信頼関係を築くことを難しくしているのかもしれない。

時代の変化とは、価値観の変化でもある。その流れを受け入れつつも、相手への敬意とともに「人と人との関係の自然さ」を保つ方法を模索することが、これからの社会に求められているのではないだろうか。



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