幼年期の終り

読み終わったあと、何もいうことができなかった。いわんや、何も考えることができなかった。言葉で表せないような感情が全身を襲い、口を大きく開け、目を見開きつつ、それでいて中空をぼうと眺めていた。否、眺めていることしかできなかった。語彙力喪失、茫然自失。そういった人体反応が、この本によってもたらされていた。

本書は、ガチでスゴい本に出会ったとき、人体がどういう反応を示すのかを教えてくれた本だ。とにもかくにも、スゴい本なのだ。未知との遭遇、ユートピア、信仰。それら単体でまるまる一冊分の本を描くことができそうなアイデアが、互いに絶妙なバランスで成立している。その技巧は、もはや作者自体が人類を超越した宇宙人なのではないかと疑いたくなるくらい精緻だ。あまりに研ぎ澄まされているせいで、読了からしばらくのあいだ、いかなる本も無味乾燥じみたものへと変貌させてしまうくらいの猛威を振るう。本を読みたくても、読めなくなってしまうのだ。ただひとつ、SFというジャンルを除いて。さあ、本書を皮切りにSF沼に浸かりましょう。

本書あらすじ

米ソの宇宙開発競争が苛烈を極めた20世紀後半のある日、宇宙進出目前にして、世界各国の大都市上空に宇宙船が到来する。それから50年、はるかに高度な知性と技術を有するエイリアン——オーバーロードの恩恵を受け、既存の国家機構や地球文化を失いながらも人類はユートピアを実現していた。ただ、戦争や飢餓、疾病が撤廃された反面、冒険を廃止されたことに不満を持つ人々もいた。加えて、秘密主義を掲げるオーバーロードに不信感を抱く人々も。そのひとりの天文学者は、オーバーロードの母星に密航を企て、その秘密を暴こうと宇宙船に乗り込んだ。他にも、人類の主体性を取り戻そうとした一部の芸術家や学者たちは独自のコミュニティを作っていた。しかし、それらの行為ですらオーバーロードは意に介さない。次第に明かされるオーバーロードの秘密。一体なぜ、オーバーロードは地球に到来したのか。真実を目にしたとき、人類は新たなステージへと変貌を遂げることになる。

オーバーロードの到来がもたらす宗教問題

宗教というのは、非常にセンシティブな問題を提起する。キリスト教を例にとってみても、聖書は「神の言葉」だと信じている人や、進化論や天文学ですら間違っていると決めつける人すらいるからだ。オーバーロードの到来は、くしくも、そういう人たちの存在を浮き彫りにしていく。

指導者たちの多くは盲目なのだ。無意識のうちにオーバーロードに買収されているのだ。彼らが危機に気づいたときにはもう遅い。人類は主体性を失って、奴隷の種族となってしまうのだ。

p. 27

オーバーロードの台頭により、こうした宗教——神の導きによってみずからの生活を律する自由——が侵略されたことは、オーバーロードによってもたらされた自由な世界すらも否定していく。それがいいかわるいかは、どこに視点をもっていくかどうかで変わってくるが、人類の発展と主体性とを天秤にかけたとき、宗教のありかたは結局のところ、他人の自由に干渉しない限りは、その人間自身の問題へと帰結すべきものだと知れる。

ユードピアは退屈をもたらす

本書は、退屈は人を殺すっていうお話を忠実に描写している。

どんなユートピアも絶えずすべての人間を満足させておくことはできない。物質的な面が改善されるにつれて、人間の視野もまたひろがる。そして彼らは、一昔前なら気ちがいじみた妄想としか考えられなかったろう不思議な力や便利なものにも、いつか満足しなくなってしまう。

p. 162

この辺の意識は、日常生活でもわりと重なる部分が多いように思う。これといった変化がないと時間が無駄に長く感じるけど、その逆では充実した感があるやつだ。毎日が好きなもので溢れ、そのことに夢中で余計なことを考える暇もなく、他人の自由に干渉したり世の中を呪ったりしない。

日常的に面白さを見出せるような人は悪いことをしないのだけれども、本書では、これに気づけている人ってのがごく少数なのだ。人類の多くがユートピアのもたらす快楽を貪ることに夢中で、その先を考えられていない姿は滑稽。しかし、実際のところ現実に似たようなことが起こったら同じような世相になるのだろうね。怖い。

アーサー・チャールズ・クラーク(1917 - 2008)は、イギリス出身のSF作家。20世紀を代表するSF作家で、科学解説者としても知られている。

作者: アーサー・チャールズ・クラーク/福島正実
早川書房

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